沿革・歩み

【沿革】

昭和27年

 創設者・初代館長岳田政雄先生が武徳殿で剣道教室を始められる。

 第一期生・三好晃現館長兄弟(閏三、晁、浩孝氏)と親族少々。


昭和48年

 岳田先生が宇治市内へ転居後、付近の心華寺講堂を借り受け神明少年道場を開設される。


平成2年

 初代館長岳田先生白雲道場へ誘うに至る。鳴呼悲しきかな。

 三好晁二代目館長就任。


平成15年

 京都右武館創立50周年、神明道場創立30周年を迎える。


平成18年12月

 名誉館長大森政雄先生白雲道場へ誘うに至る。

【京都右武館の歩み】

1 創成期

 昭和20年(1945年)、予想もしなかった敗戦という厳しい現実を迎えた日本国民は茫然自失為すことを知らず、米軍を主力とするGHQの占領下、物心両面にわたる強圧を受忍せざるを得なかった。かくてGHQは、この国が二度と白人世界に反抗できないように日本古来の美風・道徳を悪とし、国民精神を骨抜きにする苛酷な政策を強制したのであり、「剣道の禁止」もその一つであった。大日本武徳會を軍国主義団体と決め付けて解散させ、京都本部武徳殿施設を占拠して米軍宿舎とし、星条旗を翻した。各地支部武徳殿にはMPが土足で踏み込んで剣道具、竹刀を集め、ガソリンを掛けて焼き払うという始末であった。

当時飢餓 線上を彷徨していた我国には恥も外聞も捨て去り、先ず「食う」ことを 先決問題とする風潮が生じ、国民道徳は地を払い、殊に青少年非行は飛躍的に増加して行った。

 昭和27年、占領行政が解除されてようやく独立国となったが、占領ボケとなった国民は軽佻浮華の状態で、安逸を求めて限りなく、「古きものは皆悪し」とて顧みず、剣道などは見向きもされなかった。しかし 幸いにも武徳殿施設は、紆余曲折があったものの京都市警察学校として再出発となり、武徳殿は剣道特錬生の道場として竹刀の快音を響かせることとなった。

警察本部少年課次長であった(故)岳田政雄先生は青少年非行の実態を把握されていて、このまま推移すれば我国の復興は至難になると深憂し、警察学校の教頭として赴任されるや、剣道を普及し『左文右武』 の精神を青少年に注入するに如かずと堅く決意された。早速警察学校長の賛同を得て、土曜日の午後、日曜日の午前に武徳殿を使用し剣道の教授を始められた。第一期生は三好晁現館長兄弟(閏三、晁、浩孝氏)と親族の方々少々であった。

しかし交際範囲の広い先生のこと故、「岳田先生が剣道を教えておられる」とのニュースは時勢を憂える父兄の共感を呼び、たちまち「うちの子を鍛えて欲しい」とアッという間に剣道少年が集まった。この時の少年達が現在右武館を支える元老、即ち諸井建夫、田宮弘隆、長谷川正彦、松本勝己、石田虎郎、田口俊雄、永田博嗣、雙上直哉、森川和仁、森川弘仁等の各氏である。

2 躍進期

 京洛の巷に『左文右武』の旗印を高く掲げ、養心訓『剣は人なり…』の下、少年等が真摯に剣道に励む右武館には、早くも剣道大範士宮崎茂三郎先生、田中知一先生をはじめとする在京の諸先生方の熱き御支援を賜ることとなり、また政界財界の方々からも物心両面の御後援を得るに至った。

更に昭和28年5月から昔懐かしき「武徳祭」が「全日本剣道京都大会(現在の名称~全日本剣道演武大会)」として全日本剣道連盟の手により毎年開催されることとなり、全国から数千の剣道愛好家が入洛して武徳殿へ参集する有様に、京都の剣道熱は一気に沸騰し次々に剣道場が誕生すると共に、右武館への入門少年も増加の一途を辿った。

やがて警察組織改革に伴い京都市警察は京都府警察となり、警察学校は深草へ移転した。その後は市立堀川高校音楽科に変身し、武徳殿施設は条例により市スポーツ課管轄の貸し出し施設となったため、右武館はやむをえず手狭な弓道場を借り受けて稽古を行う状況に至ったが、少年剣士の増加は止まず京都市内で最多、最強を誇る少年剣道場となっていった。

これらの少年達は昇段試験に必ず合格し、通学する中高校大学剣道部の主将あるいは有力メンバーとして大活躍した。

因みに三好現館長兄弟は同志社大学剣道部主将として学生剣道界に君臨した。

このころ自然発生的に保護者による後援会が結成され、右武館はいよいよ発展を遂げて公開演武会は大盛況であり、レクレーションを兼ねる高野山遠征にはお母様部隊が編成される有様。この間恩師岳田先生が福知山警察署次長として栄転され、親鳥からはぐれる小鳥の気持ちを味わう時期もあったが、館生・後援会員一致して苦しみ寂しさを跳ね返し一段と結束するとともに、OBは寸暇を割いて後進の指導に来場した。また、居合道、合気道、護身術等を取り入れて道場を総合武道鍛錬の場とした。さらに剣道、居合道初段審査に合格した館生には必ず日本刀による試し斬りを課し、竹刀の手の内も日本刀の手の内も同じという右武館にして初めて可能なる独特の教育を行ったので士気いやがうえに向上し、マスコミの取材も盛んであった。

3 徳島、鹿児島支部の開設

 かくして右武館は京都剣道界において、少年剣道の発展普及の先駆者としての立派な功績をあげ、さらに全国的となった少年剣道熱に応えて東京の全国少年剣道大会に連続出場健闘したほか、福知山、久美浜、亀岡、福井等の各地に遠征し練磨の成果を発揮した。また、福知山、大久保自衛隊施設への体験入隊あるいは禅寺への入門を実施して精神陶冶を図る等ユニークな育成活動を行った。

岳田先生の理想と信念に共鳴された元福知山自衛隊副長の重井好高先生、元国鉄職員の石本堅男先生は、徳島、鹿児島へ帰郷後直ちに大道場を建立された。両先生は同志の方々と共に青少年育成の趣旨を高く掲げ、剣道の錬成を通じて礼儀作法の修得、質実剛健の気風涵養を図られ、多大の成果をあげられた。この快挙を祝うべく岳田先生は右武館のOB、館生の精鋭を率い大挙して応援に駆け付け、地元少年剣士、師範先生と盛大に交流された。

岳田先生は宇治市内へ転居後まもなくの昭和48年、付近の心華寺講堂を借り受け神明少年道場を開設されたが、時期真に当を得て続々と少年剣士が集まり、有志剣士も加わり洛南の地に少年達の雄々しい懸声と勇ましい竹刀の響きがこだまするようになった。

4 初代館長岳田政雄先生逝く~第二次右武館

 右武館道場だけでなく、大久保自衛隊剣道部、日産車体京都工場剣道部、ユニチカ技術学院剣道部等指導の場を広げられた岳田先生であったが、惜しくも創設者・初代館長岳田政雄先生は、平成2年10月4日俄かに白雲道場へと旅立たれた。

そして第一期生であった現三好晁館長が岳田先生の志を継ぎ、第二次京都右武館がスタートした。

5 右武館創立50周年・神明道場創立30周年~そして未来に向けて

 平成15年、右武館は、創立50周年、神明道場創立30周年という節目の年を通過した。この半世紀、決して順風満帆に歩み続けたわけでは無いが、その時その時代に応じて大勢の方々に支えられてきた。半世紀前、初代館長の故岳田政雄先生が「剣の修行を通じて健全な心身を鍛え、社会に役立つ人材を育てたい」との熱い思いを抱かれ『左文右武』を館のモットーに定めて創設された道場は、これまでの間に、200名を越す門下生が社会に旅立ち各方面で活躍をしているなど、まさに故岳田政雄初代館長先生が創設時にいだかれた理想が現実のものとなっている。雲上の創設者岳田政雄先生、大森政雄先生を始め、惜しくも幾多の功績を残し他界された恩師黒田秀夫、雙上茂両氏も必ずやの右武館の発展を見守っていて下さると信じている。

【京都右武館65年の歩み】

昭和27年頃 

岳田政雄先生が、旧武徳殿の弓道場に於いて少年剣道教室をはじめる

大森政雄先生が賛同、少年剣道の指導に当たる。

第1期生、三好先生兄弟が入門する。


昭和28年  

剣道教室「岳田道場」を武徳殿南門にある「左文右武」の石碑より「京都右武館」と命名する。

右武館館長 岳田政雄、副館長 大森政雄「おおまさ、こまさ」の名コンビが結成される

館生三好兄弟を中心に次々と門下生が増える


昭和38年  

京都社会人剣道大会で団体戦で優勝する。

京都右武館10周年記念

武徳殿や弓道場で練習する。


昭和40年  

館生は100名近くになり、京都でも3本の指に入る道場となる。

網野、赤穂、高野山などで夏合宿(一泊二日)を行う。

日本武道館で行われる、全日本少年剣道練成大会に出場。これより連続出場をする。

剣道だけでなく、大森先生の指導により、館生全員「無想直伝英信流」の居合を習い始める。

また、小野派一刀流「五行の形」も習う。

岳田政雄先生 剣道「範士号」を受賞


昭和48年  

京都右武館20周年記念

「右武館神明道場」が宇治の心華寺において設立

OB会が発足する。初代OB会長三好先生就任。

「徳島右武館」が設立。重井先生が館長に就任。

OB会 徳島に遠征して夏季錬成を行う。

「鹿児島右武館」が設立、石本先生が館長に就任。


昭和53年 

京都右武館25周年、神明5周年記念大会が武徳殿で盛大に行われる。

昭和58年  

京都右武館30周年、神明10周年。

昭和63年  

大森先生 居合道で範士号を受賞される。

神明道場、全日本少年剣道練成大会でコート三位となる。

岳田先生亡くなられる。


平成2年   

2代目館長として、三好晁先生が館長に就任する。

また、大森副館長は名誉館長に就任する。

平成5年   

京都右武館40周年、神明20周年

平成15年  

京都右武館50周年、神明30周年

平成23年  

ねんりんピック2011熊本 三好館長 京都代表 出場

平成24年  

神明道場、全日本少年剣道練成大会出場

平成25年  

京都道場は近年青少年の入門者が増える。

京都道場、神明道場従来の稽古日を増し、全日本出場を目指し強化練習を行う。

神明道場、全日本少年剣道練成大会2年連続出場。

京都右武館60周年、神明40周年記念式典開催。


平成26年

京都社会人秋季優勝大会にて上前・松下両先生が初の女性による日本剣道形の演武を披露し、好評を得る。

平成27年

三好晁館長に全日本剣道連盟より「剣道有功賞」が授与される。

諸井健夫・田宮弘隆・松本勝己副館長が館長代理に就任する。

永田博嗣・林義秀両先生が副館長に就任する。

京都社会人春季大会形試合において道旗・シェーファ組が優勝。秋の大会で演武を披露し好評を得る

平成27・28年

第63回・第64回京都社会人剣道大会、男子65~64歳の部、黒住龍四郎杯、林義秀副館長が2年連続優勝。

第63回京都社会人剣道大会、男子65歳以上の部、宮崎茂三郎杯、岡部道夫先生優勝。

平成28年

三好館長が京都社会人剣道協会副会長に就任する。

平成29年

松本館長代理に京都府剣道道場連盟より「功労賞」が授与される。


平成30年

田宮弘隆館長代理に全日本剣道道場連盟より「優秀剣道少年団指導顧問賞」が需要される

京都右武館65周年、神明道場45周年記念。創立記念祝賀会がグランビア京都で開催される。


平成31年

三好館長、諸井館長代理、田宮館長代理、松本館長代理が勇退し、平成31年4月より次期指導陣へ

名誉館長:三好晁

相談役:諸井健夫・田宮弘隆・松本勝己

館長:永田博嗣

副館長:雙上直哉・林義秀