初代館長史
範士八段 岳田政雄
わが右武館の恩師、故岳田先生は剣道を天職と心し、正に『剣は心なり、心正しくして剣又正し』を実践された名剣士であられた。
先生は明治42年4月28日北海道網走にて生をうけ、中学校へ入学するや直ちに剣道部に属し小野派一刀流の名手村上重吉先生の教導を受け、出藍の誉れが高かった。
昭和2年北海道全国中学校剣道大会にて団体優勝、同東京高等師範(現筑波大学)主催全国中学校剣道大会準優勝、同早稲田大学主催全国中学校剣道大会3位の成績を挙げ、朔北の地に網走中学校有りとの剣名を天下に轟かした。
同校を卒業後一時代用教員を勤めていられたが、剣道にて身を立てるべく志を抱き、
昭和5年10月京都府警察官を拝命直ちに剣道特錬生となり、
昭和6年2月大日本武徳會本部剣道講習生入門を許され、
爾来小川金之助、宮崎茂三郎、四戸泰助、津崎兼敬、佐藤忠三、中島寿一郎、田中知一先生等名剣客に師事して猛稽古に励み、当時の「武徳祭」にて毎回名勝負を演じ、「京都に岳田あり!」との名声を挙げた。
昭和16年10月久邇宮殿下台覧五段総当戦に優勝久邇宮賞を受賞
昭和17年10月皇太子殿下(現天皇陛下)台覧全国教達士戦準優勝
その他、
全国警察官剣道大会7回出場個人全勝にて内務大臣賞を受賞
二府二県警察剣道大会団体10回優勝
明治神宮剣道大会6回出場
戦後は、
国民体育大会6回出場
都道府県対抗剣道大会4回出場
東西対抗剣道大会団体優勝
と赫々たる戦績を残し、
昭和40年5月剣道八段に昇段
昭和46年5月剣道範士号を允許せらる。
また、警察官としては亀岡警察署長を最後に退職、勲六等旭日章の栄誉に浴されたのである。
尚退職後も右武館、同神明道場への稽古に専心される傍ら剣徳は、
大久保自衛隊剣道部
日産車体京都工場剣道部
ユニチカ技術学院剣道部